« 天気がいっすね | トップページ | えにしスパイシー »

2010年12月12日 (日)

全文引用

いろいろな光り方。


いのちという透明な球体は
成長という空気に触れて
いろいろなものを纏い転がってゆきます。

ふわふわの羽毛であたためられても、
割れてしまうほどに傷つくこともあるし、
でこぼこの岩山から放り投げられても、
強く磨かれ輝いてゆくこともあります。

それぞれの球体が、
それぞれ違った時間を経て、
美しく強い姿や、
歪んだ、傷ついた部分を作り、
またそれを、
社会と経験というほこりで覆い隠して、
転がり続けてゆくのだと思います。

ですからひとつの球体には、
角度によって見え隠れする
様々な表情があるのだと思います。

たとえ、
強い信念があろうとも、
ひとつひとつのの玉は
相互に犯されるべきものではなく、
作為的に傷つけられてよいものではありません。

そうでなくても、
世界では、
美しく光り輝く魂を宿した
多くのいのちの球体が、
ちょっとしためぐりあわせだけで
つらい目に遭い、
苦しい想いをし、
葬り去られてゆくのです。

このひとつの魂のもつ、
優しさや、強さや、かわいらしさや
その姿をとどめる匂いまでもが、
永遠に消し去られてしまうというのは、
なんと酷いことなのでしょう。


ばらばらにくだけ散ってしまった玉の中には、
かつて見えていた光はもう存在しません。
でも、そこにないからと言って、
誰も、その光が存在していたことを否定しません。


多くの球体が、
喜んでくるくると回る様を
奏でてみたいです。

« 天気がいっすね | トップページ | えにしスパイシー »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事